『お知らせ!2019年6月17日より90日間までの滞在はブラジルビザ免除!リオデジャネイロのスラムと言えばファベーラ。数万人から数十万人が住むと言われてるけど、今...』リオデジャネイロ(ブラジル)旅行についてNoelさんの旅行記です。 2015年度の国際復興開発銀行・IRBDの調査では全世界に7億3600万人の人が絶対貧困者であり、1日2ドル以下のお金で生活をしているとされます。, そのような貧困者が寄り集まって暮らしているスラムとは、いったいどのような場所なのでしょうか。, 特に途上国では地方の暮らしが厳しく、自然環境が過酷であったり戦争の舞台になることも多く、ぎりぎりの状態であった人々の暮らしはいとも簡単に壊されてしまいます。, 一説には南アフリカの失業率は30%、ジンバブエに至っては80%にも上ると言われており、そこに外部から訪れた人間が職にありつけるかというと非常に難しいと言えます。, そして職を探しながら路上に寝泊まりしていた人々が、やがてトタンやベニヤなどの廃材を使ってバラック小屋を建てるようになり、この小屋がどんどん集まって形成されたのがスラムなのです。, 小屋を取り壊される恐れがない場所を選んで小屋を建てていくため、川べりや鉄道沿い、ゴミ集積所の近く、下水の溢れる場所、人気のない街区など、危険であったり不潔であったりして人が寄り付かない付近に集落ができていきます。, これを繰り返すうちにどんどんスラムは巨大化していき、貧民窟は貧民街へと変化していきます。, スラムが肥大化すると住民を相手に商売を始める住民などが生まれ、スラムの中に店や会社ができて住民の間に雇用関係が生まれ、家や土地の貸し借りも行われるようになるのです。, スラムで真っ先に造られるのが、生活必需品である食べ物を売る八百屋や肉屋、そして雑貨店です。続いてできるのが酒屋や賭博場とされます。, さらにスラムの中で商売に成功した者が現われると、会社が作られます。新しくスラムにやってきた貧困者を使って事業を始めるのです。, アジア各地で見られるのが人力車や自転車の貸し出し会社で、このような簡素なビジネスが根付いてくるとスラム街に売春宿ができます。, インドの国勢調査によると、ムンバイの人口の約54%がスラム街であるダーラーヴィ地区に住んでいるとされます。, 『スラムドッグ・ミリオネア』の中で子供を拉致して目を潰すというショッキングなシーンがありますが、これは実際にダーラーヴィ地区を始めとするスラムではよく見られる犯罪です。, スラムでは物乞いに階級があり、同情を引けるような外見をしている程お金が稼げるのです。, ノンフィクション作家の石井光太氏の現地での取材によると、インドのスラム街で障碍者や病人が物乞いをした場合、一番稼げるのがハンセン病患者、二番目が象皮病、三番目が四肢欠損、四番目が全盲、知的障碍というショッキングな結果が分かっています。, また、健常者が物乞いをした場合は幼児や子供、次いで老人、乳児を抱いた母親が物乞いで稼ぐことができると言います。, そのため、映画であったように誘拐した子供の目を潰して物乞いをさせて稼ぐという違法ビジネスが、ダーラーヴィ地区では現実に横行しているのです。, さらに恐ろしいことに、このような目に遭った子供たちは違法組織のこと恨まないどころか、命の恩人のように思うケースさえあると言います。, スラムに生きる孤児たちにとって、自分達だけの力で生活するよりも障碍を負わされて組織で物乞いをした方が、喰いっぱぐれることなく稼げるからです。, ダーラーヴィ地区の物乞いの手段として、もう一つ知られているのが”レンタルチャイルド”というものです。, 乳児を連れて物乞いをすると実入りが良くなることから、昔からスラムでは赤ん坊の貸し借りというのは頻繁に行われていたことだと言います。, そしてこれに目をつけたのがレンタルチャイルドというビジネスで、違法組織が病院の新生児室や路上生活者から乳幼児を誘拐し、この乳幼児を物乞い達に貸し出すことで収入を得るのです。, 最も利用価値があるのは新生児から3歳程度までの年齢で、組織は貸し出した子供を連れた物乞いの稼ぎからピンハネをして利益を得ます。, 小規模な組織がレンタルチャイルドのビジネスを手掛けた場合はこの程度で済みますが、より大きな犯罪組織、例えばマフィアなどが介入した場合は誘拐した子供が6歳程度になると1人で物乞いをさせ、その儲けを全て奪うことも少なくないのだと言います。, 物乞いでそこまで稼げるのか?と日本人の感覚では不思議になりますが、ヒンドゥー教では物乞いに対して金品を恵むことで徳が積め、幸せな来世が約束されるという教えがあり、物乞いに喜捨することはごく当たり前のことなのです。, とは言ってもダーラーヴィ地区に暮らす人の全てが犯罪者や犯罪に巻き込まれているというわけではなく、昼間はムンバイに働きに行き、仕事が終わるとスラム街に帰宅するという暮らしを行っている人も大勢います。, ダーラーヴィの住居のほとんどが賃貸であり、ここを出て行った人たちが月1500~3000ルピー程度で貸し出しているそうです。, ムンバイで仕事を得ても都市の不動産は高いため、まずはスラム街に住居を定めてお金を貯めるという人も多いのだと言います。, また古くからダーラーヴィの主要産業とされてきた陶器や縫製、革製品などをオンラインで販売することで作家として成功を収めている職人も出始めており、ダーラーヴィは経済成長が見込まれる地区としても注目されているのです。, キベラスラムは東アフリカ最大のスラム街で、人口は60万~100万人と言われています。, このスラムは1000年前にケニアを統治していたイギリスが、スーダンのヌビア族をこの土地に住まわせたことに端を発するとされ、その後に鉄道開業などの働き手として集まったルオー族などがキベラに住み着いたことで、徐々にスラム街が形成されていったと言います。, ナイロビにはキベラスラムを含めて大小およそ200ものスラムがあり、全人口のおよそ50%がスラムで生活していると言います。, ナイジェリアの治安は極めて悪く、宗教や民族間での対立によるテロ事件が頻発しており、スラムの中には路上生活を余儀なくされているストリートチルドレンも多く存在します。, キベラスラムを含むアフリカのスラムではHIV感染やマラリアで両親を立て続けに失くした孤児も多く、彼らのほとんどが少なくて4人程度、多い場合は20人以上の集団を作って一緒に生活をします。, 彼らがグループを作るのは危険から身を守るためや寂しさを紛らわすため、路上生活のノウハウを伝えると言った理由からです。, 路上での生活は数えきれないほどの危険があるために、子供が一人で生きていくのは不可能ともいえるのです。, 本来ならば大人に守られて生活している年齢の子供たちにとって、スラムのストリートチルドレンとしての生活は過酷です。, そのため辛さから目をそらすために薬物やシンナーにはまってしまうケースも少なくありません。, ところで上の画像のようなストリートチルドレンを撮影した写真を見ると、ストリートチルドレンの大半が男児であり、女児のストリートチルドレンとというのはほとんど見られません。, これはグループで固まっていたとしても、女児が犯罪に巻き込まれる可能性が非常に高いことから児童福祉施設に保護されたり、犯罪から身を守るために男装していることが多いためと言われています。, そのためほとんどのストリートチルドレンは男児同士で固まって暮らすこととなり、同性愛行為が横行。, またアフリカのストリートチルドレンにとって恐ろしいのが、戦争やテロへの強制加入・少年兵にさせられるという問題が挙げられます。, キベラスラムのような場所に暮らすストリートチルドレンの中には、自ら傭兵として参加する子供も存在します。, ゲリラ組織などが兵士集めにスラムを訪れた際に自分からコンタクトを取り、連れて行って欲しいと頼むのです。, 彼らはストリートチルドレンでいる限り、誰にも必要とされることがなく、いつ命を落としてもおかしくない状況です。, しかし戦争に参加すれば普通以上の収入が手に入るうえ、組織の中では兵士として、大人同様の扱いをしてもらえます。, 大人から褒められ、贅沢ができる程のお金も貰えるため、少年兵の中にはまさに虫を殺すような感覚で、何の躊躇いもなく殺人ができる子供が少なからず存在すると言うのです。, 悲しい話ですが、孤独や絶望を埋めるために率先して少年兵になる子供も珍しくないとされます。, 一方で現在ケニア政府は、2030年までにキベラスラムの環境を整備して普通の都市にするという計画を推進しています。, そのため、現在は上の写真のようなアパートが数多く建設されていき、バラック小屋の住民が移住する準備を進めています。, 私たち日本人の感覚では、スラムにいる人は一様に貧しく、一様に危険な目に遭っているというイメージがあります。, しかしキベラスラムのように巨大なスラム街では、その中でもスラムの中心部に店や会社を構えて家族で普通に暮らしている人々と、人権すら危うい暮らしをしている人々の二極化が進んでいるのです。, マンシェット・ナセル地区は、カイロに位置する全長1.5km、幅1km程度のエジプト最大のスラム地区です。, ここは“死者の街”と呼ばれており、お墓の建造物の中で住民が遺体と一緒に暮らすという他に例を見ないスラムです。, この死者の街がスラム化したのは1960年代前後からとされ、墓地そのものが造られたのは14世紀程度と言われています。, この一帯に建設された数百の墓地は大きく豪華で、家族が宿泊する部屋や中庭、従者の控室もありました。, そこに1970年代からカイロに人口が集中するようになり、死者の街に住み着いて行ったのです。, カイロに人が集まった理由というのはエジプトの農村部の出生率の高さと人口過剰が理由で、最初は田舎から出てきた人々も死者の街の墓の権利者の許可を得て住まわせてもらっていました。, しかし人が増えるにしたがって不法占拠者が増え、勝手に掘っ立て小屋を建てる者なども現れました。, このような経緯でスラム街が作られていき、現在の人口は2万人程度に上ると言われています。, 現在のマンシェット・ナセル地区は、死者の街というよりも“ゴミの街”という様相を呈しています。, スラム街ではゴミが山積している光景が良く見られますが、途上国では人々がゴミを投げ捨てて、廃品業者にゴミをくれてやっているという意識があるのだそうです。, これをスラム街の住民が拾って集めて仲介業者の元に持っていき、キロ単位で買い取ってもらいます。, ゴミは紙屑、プラスチック、鉄くずなどのジャンルごとに値段が分かれ、仲介業者は買い取ったゴミを工場などにまとめて流すのです。, ごみのポイ捨てや不法投棄がスラムの人々の生活を支えているために、政府がゴミ問題に積極的に乗り出すことができないという背景もあると言います。, そういった理由からマンシェット・ナセル地区にはカイロ中からゴミが運ばれており、住人はゴミ拾いで生計を立てています。, 景観が醜いと言われるマンシェット・ナセル地区ですが、2016年にはこのスラム街に巨大壁面アートが現われて話題を呼んだことがありました。, この壁画を描いたのはチュニジア系のフランス人アーティスト、エル・シードが率いるグループで、コプト教の司祭の言葉が用いられています。, フィリピンのトンド地区は世界有数の貧民地区で、市内にはスモーキー・マウンテンの名称で知られる巨大なゴミ集積場が存在したこともあります。, 現在でも地区内には数多くのスラムが存在し、中でも有名なのが東洋一巨大なスラムと呼ばれるハッピーランドです。, このハッピーランドは、かつて東洋一のスラムと呼ばれたゴミ山・スモーキーマウンテンを1995年にフィリピン政府が閉鎖した時に新しくできたスラム街で、フィリピン語で「ゴミ」を指す「Hapilian」という単語から派生した名前で呼ばれています。, トンド地区では、昼間から何をするでもなくブラブラしている大人が多く見られる傾向があります。, フィリピンでは国民の1割が出稼ぎ労働者と言われており、GDPの約1割が出稼ぎ労働者からの仕送りということになります。, つまり出稼ぎ労働者の送金で生活ができるため、働かずに暮らしていかれるという世帯が存在するのです。, フィリピン人の出稼ぎの中で有名なものが、日本でも多く見られるフィリピンパブなどで働く水商売の女性達でしょう。, 出稼ぎに来ているフィリピン人女性達は故郷のゴミ拾いなどの仕事では考えられないような大金を家族に送るため、このお金に親族も多く集まってきます。, そのため働いても財産が残せるということはなく、働けば働くほど養う人数が増えて一層苦しくなるということも少なくないのです。, このような事情から日本で大金を稼いでいるように見えるフィリピンパブで働く女性も、歳を取って故郷に帰っても家族は相変わらず路上で暮らしていて生活レベルは向上しておらず、自らも路上生活者になるしかないというケースも数多く存在すると言います。, 一方で出稼ぎ労働をすることで立派な家を家族に建てることができた、というフィリピン人女性もいて、彼女たちが建てた家はスラムの人々から“ジャパニーズハウス”や“アメリカンハウス”といった呼び方をされることもあるそうです。, 中にはトンド地区を出て都市部に家を構え、子供もきちんと教育を受けて見事に貧困の連鎖を断ち切れたという家族もあり、国外で働くフィリピン人女性の逞しさを感じさせます。, フィリピンやタイには日本などの先進国から来た滞在者をターゲットにしたナイトクラブも存在しますが、あのような場所で働けるのは主に女子大生などの教養のある富裕層の娘だけとされ、スラム出身の女性が出入りできるような場所ではありません。, ナイトクラブを訪れる客は富裕層であることから、客の会話について行かれるほどの知識が女性側にも求められるのです。, そのため、トンド地区の女性が風俗で家族を養おうとした場合、マニラなどの売春宿で働く必要があります。, スラム出身の女性は読み書きができないことも多く、客となるのも同じくスラム出身の男性となるため、やることだけやったら最低限のお金をもらうという仕事が一般的なのだそうです。, 同じことを日本などの先進国に渡航して行えば100倍以上のお金が稼げるわけですから、海外で風俗業に従事する女性が数多く存在するのも当然と言えるでしょう。, 日本では食材や調理人の腕前、店のロケーションなどで価格に差はあるものの、お金のある人もない人も白米や味噌汁、肉料理や魚料理と大まかなくくりでは同じ食事をしています。, しかし、途上国では生活レベルによって食べられるものが全く異なり、スラムにはそこで暮らす人しか食べないような食事が存在するのです。, パグパグはマニラの人々が食べ残したものを再加熱したもので、ゴミ捨て場などにある残飯を水で洗って火を通したというものです。, もちろん衛生的に問題があり、フィリピン政府はパグパグを口にしないように働きかけていますが、ハッピーランドなどのスラムで暮らす人にとっては命を繋ぐ貴重な食糧と言えます。, パグパグもそうですが、貧困フードには火を通したものや油で揚げたものが多く、これは鮮度の悪いものを食べられるようにするための工夫です。, このような貧困フードから生まれて世界的な料理となったものの1つに、フライドチキンがあります。, 実はフライドチキンはアメリカの黒人奴隷が生みだした食事で、白人が口にしなかった鶏の足の部分をハイカロリーになるように油で揚げて調理したことがきっかけとなり、誕生したレシピなのです。, 貧困フードには、限られた食材から最大限のカロリーをとろうという共通点があり、それ故にスラムには意外と肥満体の成人が多いと言われています。, ブラジルにはファベーラと呼ばれるスラム街が数多く存在し、大都市の周囲には必ずファベーラがあります。, ファベーラは1888年に奴隷制度が廃止された時に行き場を失くした奴隷が都市に流失し、そのまま住み着いたのが始まりであったとされ、リオデジャネイロ周辺には1000を超えるファベーラがあるとされます。, リオデジャネイロ周辺のファベーラの中でも最大とされるのがホシーニャで、現在約8万が暮らしています。, 映画『シティ・オブ・ゴッド』のモデルともなった場所のため、ギャングの抗争が激しく著しく治安が悪い地域という印象がありますが、現在はホシーニャに移住してくる人が増えているのだと言います。, ホシーニャはマフィアが厳重に管理していることから、ルールさえ守れば税金も払わずに済み、安全に暮らすことができるのです。, マフィアは収益の一部をスラムの子供の教育費に充てることもあり、苦しみながら都市で暮らすよりもホシーニャに逃げ込んだ方が余程安定した生活ができると言われています。, マフィアが慈善事業のようなことをするのは何故かと不思議になりますが、この背景にはマフィアの幹部達もスラム出身のストリートチルドレン、という事情があるようです。, 彼らにとって貧困にあえいでいるスラムの住人は仲間であり、家族であるため、ホシーニャのようにスラムの住人にお金を出すマフィアというのは少なからず存在します。, 同じ場所で育ったから仲間・兄弟という考えが根付く理由として、実際にスラム街では異父兄弟、異母兄弟の子供が大勢いるという事情が関わっているという考察があります。, 貧困層の女性は結婚と離婚を繰り返すことが多く、その都度新しい夫との間に子供を設けることから、生涯で少なくとも6人程度は父親の違う子供を出産します。, そのため血が繋がっているから家族という意識がスラムの子供にはあまりなく、一緒に生活をすれば誰でも家族という考え方になると言うのです。, 現在、世界各国の巨大スラムの中にはキベラスラムのように政府が介入して、生活の改善や住人の保護のための動きが見られている場所も多くあります。, 良かったではないかと思ってしまいがちですが、日本のホームレスの人でも行政が保護を呼びかけても辛い路上生活を続ける人が多くいるように、スラムから離れられない、より危険な場所に流れて行ってしまう住人も少なからず発生することが予見されています。, 特にストリートチルドレンの中には保護をされた後、麻薬やシンナーを取り上げられたことでこれまでのトラウマが蘇り、保護施設で自殺や自傷行為を図るケースも後を絶ちません。, ただ住居や仕事、教育などを提供するだけではなく、スラムを取り壊した後にそこにいた最下層の人々のメンタルケアをどうするか、というのも大きな課題とされているのです。. ブラジルの治安ですが、残念ながらあまり良いとは言えません。特にファベーラと呼ばれるスラム街は強盗や殺人などの凶悪犯罪も多く、決して興味本位で近づかない方が良いです。 ブラジル・リオデジャネイロのスラム街を巡回する兵士(2018年3月7日撮影、資料写真)。(c)AFP PHOTO / Mauro PIMENTEL ブラジル「新名所」はスラム街 五輪に向けた取り組み 2015.5.30 11:30 AERA #五輪 サンタマルタ観光を楽しむ外国人グループ。 ブラジルの貧民街「ファベーラ」観光ツアーの危険度 / ブラジルの保険省の発表によると、2001年から2015年の間に殺害された犠牲者は786,870人にまでにのぼるという。シリア紛争で死亡した331,765人と比較しても、戦争下にないブラジルの犯罪の多さは国の脅威となってい スラムに暮らす人々はほとんどが地方出身であると言われています。 特に途上国では地方の暮らしが厳しく、自然環境が過酷であったり戦争の舞台になることも多く、ぎりぎりの状態であった人々の暮らしはいとも簡単に壊されてしまいます。 そして故郷を捨てて、都市部に仕事を求めて移動して行くのです。 しかし都市部にも十分な雇用があるわけではありません。 一説には南アフリカの失業率は30%、ジンバブエに至っては80%にも上ると言われており、そこに外部から訪れた人間が職にありつけるかと … ブラジル、2013年4月11日。 ... 地元メディアによれば、男性は心臓発作で死亡した。2010年8月10日。 ... スラム街をパトロール中の警察。 ブラジルの貧富の差は大きく、ブラジルに住む人の半分以上が、ブラジルの平均所得の半分しか収入がないと言われています。. 「ブラジルのスラム街に住む女性たちの実態は破滅的である。彼女たちは、数十年にわたってスラム街を恐怖で支配してきた犯罪組織と警察による暴力行為の知られざる被害者である」とアムネスティのブラジル担当調査員ティム・カイルは述べた。 国籍:ブラジル 所属クラブ:引退済み. ブロック積みの無数の小さな家々が、山の斜面に無造作にへばりつく。赤茶けた小さなマッチ箱を積み上げた山のようだ。ブラジルで多くの都市の郊外に広がるスラム街「ファベーラ」は、どこも似た表情をしている。, ぎっしりとマッチが詰まっている箱だったら、火の付いたマッチを1本投げ入れるだけで、あっという間に燃え広がるだろう。新型コロナウイルスはファベーラで、そんな風に急激に拡大した。, ところが周辺地域より感染被害を抑えていると注目されているファベーラがある。サンパウロのパライゾポリスだ。652人の「路地の大統領」が先頭に立ち、感染防止の対策にあたってきた。, およそ100万平方メートルの斜面に幅1メートルほどの路地が迷路のように入り組み、2万軒近い家に10万人とも言われる住民が暮らす。30平方メートルもない狭い家に住むのは平均して5人ほど。中には10人以上が暮らす家もある。家々は密集し、窓を開けても換気しにくい。感染者が出れば、すぐに広がってしまう。, そこで住民組織が配置したのが、路地ごとのリーダーとなる「路地の大統領」だ。住人らの健康状態や出入りをチェック。自治体と掛け合って隔離施設にした公立学校に、感染が疑われる人を収容する。民間団体などから寄せられた食材を調理し、毎日1万食の昼食も用意。高齢者ら外出できない人や高リスクの人に配達もする。感染予防の講習会を開き、アルコール消毒液やマスクも配っている。, NGOの調査では、5月時点のパライゾポリスの10万人あたりの死者数は21.7人と、サンパウロ市平均の56.2人よりも少なかった。, ただ、これらの対策はファベーラの困難な状況の裏返しでもある。住民たちから「市長」と呼ばれる住民組織のリーダー、ジウソン・ホドリゲス(35)は「以前から、行政の支援はなかった。コロナ禍でも同じだった」と訴える。, 住人の中には、路上での物売りや屋台で生計を立てる人がいる。店員や配達員、建設作業員などの「エッセンシャルワーカー」のほか、守衛や家事代行など、富裕層の生活を支える仕事も多い。雇用形態は契約書もないインフォーマルがほとんどだ。失業は日常茶飯事だし、手厚い労働法の庇護もなく、失業保険などの保障もない。経済が悪化して失業者も増える中、仕事があれば幸運だと思い、選ばずに働かなければ飢えることになる。, 大統領のボルソナーロが新型コロナを「ちょっとした風邪だ」と軽視する姿勢を見せた時、ホドリゲスは住民たちに信じないように訴え、外出を控えるよう呼びかけ続けてきた。だが、「ここでは、完全な外出自粛なんてできません。みな、暮らさなければならないから」。, そのボルソナーロも7月7日に感染が発覚。経済優先でショッピングセンターなどの営業を再開した州では感染者数が急増し、再び営業停止などの規制を始めたところもある。ブラジルの感染者数は7月26日時点で約242万人、死者数は8万人以上と、いずれも米国に次ぎ世界で2番目。経済の復興は、感染の状況を見ながら慎重に進めざるを得ない。, ファベーラも全体で見ると、感染拡大の被害がより深刻に浮かび上がる。背景に、経済や医療の格差があるのは明らかだ。中間層以上が利用する私立病院の病床に余裕がある一方、主に低所得者層が使う公立病院ほど病床の利用率が高い。先のNGOの調査では、ファベーラを含むサンパウロの貧困地域では10万人あたりの死者数は72〜127人と、市平均の1.3〜2倍以上に膨れあがった。パライゾポリスは例外なのだ。, 「ファベラード」は「ファベーラに暮らす人」を意味する差別語だ。しかし、ここでは、ブラジル全土のファベーラに暮らす1300万人との連帯と住民としての誇りを示すために、この言葉が使われていた。, 新型コロナの感染対策では一定の成果をあげたパライゾポリスだが、問題はこれからだとホドリゲスは懸念する。, ファベーラは、貧しい地方から豊かな生活を求めて出てきた人々によって形成された。子どもたちが十分な教育を受けられず、貧困が世代を超えて連鎖しがちな一方、正社員の切符を手に入れ、極度の貧困から一歩抜け出せる人も少なからず生まれている。, 電力会社で働くアマンダ・ガスパル(39)もその一人。だが、コロナ禍で在宅勤務が始まったことで、思わぬ困難に直面している。「インターネット回線が遅く、何度も切断されてしまう。これでは仕事になりません」, 公立学校もオンライン授業を始めた。日雇いで家事代行として働くアイウザ・ゴメス(37)は7歳と14歳の子のためNGOからパソコンを借り、月給の1割にあたる月80レアル(約1600円)を払ってネットにつながるようにしたが、やはり通信速度は遅い。, パライゾポリスは、高級住宅地と隣接する。目の前まで高速インターネット回線が延びているのに、ここには届かない。携帯電話の電波なら4Gが届く場所もあるが、通信料は高額だ。, このままでは以前からある教育格差はさらに拡大する。在宅勤務が広がれば、学歴があっても安定した仕事に就けなくなる恐れが出てくる。eコマースが普及していけば、職場を失う人も出てくるだろう。例えばアプリを使った個人事業主の配達員などに置き換われば、仕事はさらに低所得で不安定になりかねない。, ホドリゲスは言う。「コロナ後の新しい世界など、ファベーラには訪れない。ここにはインフラ投資もなければ、バーチャルな仕事も文化もない。文字さえ読めない人が多いのだから、デジタル教育など誰も受けていないのです」, 新型コロナウイルスがすっかり変えてしまった世界から、いろんな問題がよりはっきりと見えてきました。貧富の差が命の格差につながる現実、そして不安定な雇用など、いずれも立て直すのは簡単ではありません。でも、経済が一斉に止まったことで、劇的な環境改善も私たちは目にしました。みんなが手を取り合えば、少しでもいい社会にできるかもしれない。一緒に考えてみませんか。よりよい明日を、どう描いたらいいのかを。, おすすめのニュース、取材余話、イベントの優先案内など 「GLOBE+」を一層お楽しみいただけるサービスをご提供します。, おすすめのニュース、取材余話、イベントの優先案内など スラム街、退廃地区、貧民窟などとも表現する。 世界のスラム住民の数は増加傾向にあり、 国際連合人間居住計画 の統計によれば、 21世紀 初頭でのおよそ10億人から、 2030年 には倍の20億人に増えると … 大泉町出身の友人が言っていた群馬のリトルブラジル。「レストランブラジル」「アソーゲタカラ」「西小泉駅」、どこへ行っても聞いていた以上のブラジル感。日本にいながらブラジルにいる感覚は、本 … ファベーラは貧困街、スラムを意味する言葉で、ブラジル全土で1,000ヶ所以上数えられる中、サンタマルタのあるリオ・デ・ジャネイロにそのほとんどが集中しており、「リオといえばファベーラ」と言わ … ブラジルのスラム街「ファベーラ」が新型コロナウィルスで緊急事態! この記事を読むのに必要な時間は約 8 分です。 全国に出された緊急事態宣言は5月20日現在、東京を含む9都道府県でいまだ解除されるに至っていない。 「GLOBE+」を一層お楽しみいただけるサービスをご提供します。, このWebサイトの全ての機能を利用するためにはJavaScriptを有効にする必要があります。, 死んだペットが10万ドルでよみがえる(文字どおり) クローン犬誕生の現場に立ち会った【動画あり】, 【募集終了】これからのビジネスコミュニケーションを考える「GLOBE+ TALK」10月3日(木)開催!. 富裕層はプール付きの豪邸に住み優雅な生活を送っていますが、収入が少ない貧困層は住処を求めて一箇所に集まり、そこが スラム街 と化すのです。 【新型肺炎対策】ブラジルのギャング、対策に踏み切らない政府の代わりにスラム街を封鎖する! 2020/04/07 (火) 20:00 ファベーラの現実を理解したいブラジルの治安は悪いと良く言われる。入国して5分でパスポート盗まれたなんて話も聞いたことがある。特にファベーラと言われるスラム、貧しい人が多く住む地域は、とても危険なので行ってはダメゼッタイ!どこでも歩くはずの地 iStockで、スラム街のストックフォト、画像、ロイヤリティフリーイメージ点のなかからお選びください。他では手に入らないクオリティの高いストックフォトが見つかります。 ブラジル・サンパウロのスラム街「ファベーラ」。マッチ箱のような小さい家が斜面に立ち並ぶ=岡田玄撮影. サンパウロ郊外のスラム街から逆境を乗り越え、ついに世界最高峰のワールドカップへ挑んでいるジェズス。彼は、この夢の舞台から母に“電話をかける”ことはできるのか。その実現に期待せずにはいられない。 ブラジル、第2戦はコスタリカ ブラジルのスラム街の写真・画像素材[no.299941]。スナップマートではsns広告やブログのアイキャッチ画像などに使える写真素材を販売しています。商用でも安心してご利用いただけます。 新型コロナウイルスの感染拡大で、注目を集めた問題の一つが格差だ。スラム街など低所得者層の住宅は狭い上、大人数で暮らしがち。 ブラジルでは貧民街、スラムのことをこう呼ぶ。 市内に1000以上もあるファベーラには、リオの人口のおよそ4分の1にあたる150万人が生活すると言われている。 4、クロントイ・スラム. すごい写真集を見つけてしまった。 タイトルは「ROMÂNTICO」。ポルトガル語で「ホマンチコ」と読む。日本語に訳すと「劇的」「ロマンティック」という意味だ。 撮影は伊藤大輔さん。TBSのテレビ番組『クレージージャーニー』にも登場したので、ご存じの読者もいるかもしれない。 東京での会社員生活を捨て海外へ。 劇的な人の生きざまを追い求めて、足掛け15年間を費やして作られたこの本は、リオデジャネイロのファヴェーラ(ブラジルでのスラムや貧民街を指す言葉)、メキシコシティの娼婦 … ファベーラとは、一言で言うと「スラム街」。貧富の差が激しいブラジルでは、国中にファベーラと呼ばれるスラム街が点在しています。不法居住者の建てた小屋が並んでいるファベーラや、既存の街がスラム化してしまったファベーラが、大都市の郊外には必ずあると言われています。 その縁で、スラム街の少年オーケストラの活動がフランシスコ法皇の知る所となり、オーケストラが2014年にバチカンに招待され、法皇の前で演奏を捧げると言う栄誉に輝きました。私や文京楽器もバチカンに招かれました。 タイの首都バンコク周辺には2000近いスラム街があると言われますが、その中でも最も大きいのがバンコク中心部に位置するクロントイ・スラムです。 住民の数は実に10万人。一つの都市と言っていいほどの規模です。 2019年6月某日、『クレイジージャーニー』で人気のジャーナリスト・丸山ゴンザレスさんと、写真家・伊藤大輔さんによるトークイベント「スラム街の歩き方と暮らし方 〜ブラジル・ファベーラのrealとromÂntico〜」が開催されました。 (adsbygoogle=window.adsbygoogle||[]).push({}); かつてこの世界には拷問という残酷で忌まわしい行為が当たり前に存在していました。 殺すことを目的とせずただひたすらに傷めつける見せしめ目的のものもあれば、自動的に処刑に移行するような致死性の高いものまで ... 人類は現在、地球上の覇者として君臨し、その他の生物の大半に種の絶滅を招くほどの淘汰圧を有し、地球環境さえも変えてしまうほどの工業・農業力を見せつけています。 猿の仲間に過ぎなかった人類が、ここまでの繁 ... 1973年に映画『エクソシスト』が公開されて世界的なヒットを記録して以降、広く存在が知られるようになった悪魔祓いの儀式。 フィクションの存在という印象の強いエクソシストですが、現代のローマにおいても悪 ... みなさん、「宝探し」をした経験はありますか。 子どもの頃、遊びで宝探しゲームをしたり、宝の地図を作ってみたりした経験は誰しもあるかもしれません。 あくまでも、子どもの遊びであり、中身は宝物といっても大 ... 普段、日本に暮らしていると想像が難しいかもしれませんが、世界にはわずかな収入で寄り集まって暮らす貧しい人々が大勢います。 現在、世界人口のおよそ半数以上が都市部で生活をしており、更にその3分の1がスラ ... Copyright© 雑学ミステリー , 2021 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5. かつてパルマで中田英寿とチームメイトであり、インペラトーレ(皇帝)という愛称で親しまれていたアドリアーノは、現在リオデジャネイロの生まれ故郷であるスラム街に住んでいるものとみられる。